【年金】国民年金⇔厚生年金の手続き以外は年金事務所で行わなければいけないわけ

市町村の国保・年金の窓口のお話。

 

実は、市町村の年金窓口は申請をただ受け付けるということがお仕事なのです。

 

ただ、受け取りだけでは住民サービスの面から見て不十分だということから、年金機構・事務所で説明すべきものも「年金事務所と協力・連携」し、年金事務所に代わって、説明をしているにすぎません。

 

現在、市町村において年金の情報というのはほとんど管理していません。以前は年金の収納業務も市町村窓口において行っていたため、情報がありましたが、現在ではその情報もすべて年金機構に引渡し、私たちは国民年金に関する一定の情報以外ほとんど持っていないのです。

 

また、私は課に配属1年目で年金の担当に主担当に置かれましたが、その次の年には後期高齢者医療の担当に異動になりました。また、今年からは課に配属1年目の担当が年金主担当についています。

他の市町村と意見を交換した際もこのようなケースが多々ありました。

地方公務員のジョブローテーションを重んじる立場としてはこのような事態はよくあることだろうなとは思います。

年金の担当自体が、本丸は他の団体であり、あくまでも自治体は事務を受託しているような立場のため、課の中からも軽く見られがちのポジションでもあります。

 

自治体は主に国民年金の事務を受託している立場であり、厚生年金はまったく、年金給付の関係は一部の申請受付の代理以外は担当していません。また一切にわたって情報も持っていません。また全然研修等もありませんし、マニュアル等も年金機構から配布はされていません。しかし、お客さんはきます。そして少しでもわからないことがあると、怒りを爆発させる人もいます。

ただ、まぁこの範囲に限ってはうちが受け取りも一切やってないんで。って言って逃れるというか、そういうこともできます(できる限り対応したいけど、説明自体していいのかどうかもわからないし。)

 

ただ問題なのは自治体で受け付けるべき事務においても教育がかなり不足しているということ。年1度のほとんど意味のなさない、年金機構による研修(年金事務所の担当者の口ぶりからするとやったという形だけほしいというような)、市町村独自で買った年金関係の書籍や、知識の浅い先輩からの口語伝えのみの教育。

 

免除申請、20歳適用、付加年金、60歳以降の任意取得、海外居住者の任意取得、障害基礎年金の請求etc...

 

あくまでも受け取りを代理すればいいという立場は通用しないし、しっかり住民にも説明した上で、適切に制度を利用してもらいたいし。

将来年金をもらう上でこれら制度がきちんと利用できているか否かは本当に重要、ただ市町村レベルだとその説明がしっかりできる自治体とそうでない自治体、またできる担当できない担当の差異が激しすぎる。

 

特に障害基礎年金の請求等を町で行わないほうがいいと絶対いえます。年金事務所の担当でさえ難しい案件が多い障害基礎年金の請求。基本的には事務所の担当と話しながら私たちも対応をしますが、事務所までの足がないとか、すべての手はずを整えて後提出するだけとかでなかったら、絶対に年金事務所において手続きをすべきだと思いますよ。

 

(ちなみに私は本2,3冊自分で買って読んで、年金事務所の人とも仲良くなって情報回してもらったんでよかったんですが、それも1年で配置変え、やる気なくなりましたよね。そりゃ)

 

 

 

がんばってるお母さん!20歳前障害の年金請求は転院をものすごく繰り返してるとかでない限り、ゆっくり誕生日の1,2ヶ月前からはじめて全然大丈夫ですよ!!

ただ、病院の先生とは良好な関係を保っておいてね~

医療保険について(外国人の出産育児一時金を例に挙げて)

現在、原則日本では日本に住所を置くすべての人が社会保険もしくは国民健康保険に加入しなければならない。

 

国民健康保険法とかの条文の書き方は別にして、社会保険(面倒だから公務員もいれちゃう)に入っていない人は、必ず国民健康保険に加入しなければいけないこととなっている。

 

しかし、現在外国人を筆頭に日本人であっても、何の保険にも加入せずに無保険状態で手続きをせずにずっといる人が本当に増えている。

 

まず、根本的な問題は

社会保険に入っていない人が必ず加入しなければいけない国民健康保険本人申請を出発点としていることだ

 

法律的には強制加入なのにもかかわらず、本人申請にたよっており、入りたくない場合は、なにも届け出なければいいだけなのだ。

 

したがって会社をやめて以降国保に加入せず、病院にかかりたいときにだけ、国保の加入手続きをすればいいということになる。同一市町村にいた場合は社会保険をやめた日にさかのぼって手続きという話になるが、それでもまったく病院にかからない場合は丸々保険料を削減できるという寸法だ。

 

細かく言うと

過去時効を迎えない範囲での保険料<医療費の保険負担分(医療費の7割)

 

になった場合だけ届出をすればいい。

 

ここで人類の叡智の結晶ウィキペディアを紐解いてみると

保険(ほけん、英語:insurance)は、偶然に発生する事故(保険事故)によって生じる財産上の損失に備えて、多数の者が金銭(保険料)を出し合い、その資金によって事故が発生した者に金銭(保険金)を給付する制度。以下では主に日本における保険(私保険)について記述する。

 

 

未来に起こるかもしれない病気怪我に対して、あらかじめお金を出し合って、相互扶助すること。

もはやわたしの扱っている国民健康保険は保険ではないのかもしれない。

 

 

また、国保の核である考え方に「給付と徴収は分けて考える」というものがある。

 

原則、いくら保険料を滞納しようと、その国保の7割負担やその他の医療費の戻し分、出産育児一時金、葬祭費にかかるまで給付に制限をかけるのは許されない。

(例外的に現物給付である限度額認定証(入院・高額外来の窓口負担を抑えられるもの)を発行できない等はある)

 

 

 

ここで日本に来て半年の外国人女性がいる。

入国して以来なんの保険にも入っておらず、アルバイトのみの労働をしてきた。

今回母国に一時帰国している際に出産したといって、役所の門をたたく。

 

「ワタシコドモウンダ、トモダチ42マンモラエルッテイッタカラキタ」

 

まず彼女の住所や、在留の資格、社会保険をもっているか、また雇っている会社が不正に社会保険にいれていないだけではないかという可能性を調べ、

晴れて国保に入国日から国保の取得となり、国保の給付をさかのぼって受けられることとなる。

現在の出産育児一時金は出生証明書と、支払いがわかる領収書をもってきてもらいその出産の有無を確認し、一律42万円が支払われる。

42万円を受け取ったのだし、しっかり保険料を払ってくださいといい手続きが終わり。

そして彼女は一度も保険料を払うことなく半年後帰国した。

 

保険料を取り立てることもできず、国保からは42万の支給だけ残る。

 

彼女としては母国での出産費用(物価の安い国であれば10万いかない)と渡航費用を42万から引いた額を、ボーナスとして母国に持って帰ることができたわけだ。

 

 

 

そしてこんなことが何度も何度もある。

ただ加入拒否、支給拒否はできない。

 

 

 

毎度、事務をしていてなんともやりきれない。

こんな不条理がまかりとおっている。

まだまだ氷山の一角なんだけどね。

ムヒカ大統領のスピーチ【転載】

今の欲求を制限されそれに順応している若者たちはこのスピーチにあるような「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」から脱却していく過程もあるのかもしれない。

 

と、思った。

 

 

 

 

リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)

 

なんということでしょう。リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議で、日本メディアも新聞やテレビで大きく取り上げてきたのに、もっとも衝撃的で環境危機の本当の問題を唯一示し、考えさせられるウルグアイ大統領の本音スピーチを誰も日本語に訳していません!

こんな大事なスピーチですので、日本の皆様にも紹介したく未熟ながら翻訳しました。訂正点や思ったことがありましたらコメント欄にお書きください。

もう一つガッカリしたことがあります。

リオ会議に期待を寄せ、Youtubeで各首脳のスピーチや、かの有名な伝説のスピーチをしたサヴァン・スズキさんの映像も見ていました。リオ会議では各国首脳が集まり、地球の未来を議論し合う場なのに、各国首脳は自分のスピーチを終わらせたら、一人一人と消えて行ってしまいました。世界中から何時間もかけてこの場に来ているのに、みな人の話は聞かず自分のスピーチで済ませている代表者が多いリオ会議だったと思います。

ウルグアイのような小国の大統領は最後の演説者でした。彼のスピーチの時にはホールにはほとんど誰もいません。そんな中、カメラの前で残したスピーチは、その前まで無難な意見ばかりをかわし合う他の大統領とは打って変わって、赤裸々に思っていることを口にしています。世界で最も「貧乏」な大統領と言われているエル・ペペ(愛称)が世界に対してどんなメッセージを残したのでしょうか。私にとってはいつも考えなければならない重要なスピーチにもなりました。

ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)

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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。最近では6時間働く人が増えています。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと。

幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。

 

 

転載元:http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

 

ウィキペディア:ムヒカ大統領

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%92%E3%82%AB

開戦!外国人!

ひよこあるきが終わり、やっと仕事にもある程度は理解してきたところで(周りの皆さんのように眼がどんよりとしんできたところで)自戒の意味も込めて、

昨今問題となっている、公務員の日常について鋭く考察し、薄っぺらく語っていきたいと思っている。

 

さて、私が現在いるのは大きくはない地方自治体、国民年金と健康保険を扱っている部署である。

 

上からのプレッシャーと住民からの苦情の数々に板挟みとなる役所三大精神攻撃系ブラックの一角を担っている部署(1位社会福祉系部署2位税務系3位住民系←国保・住基戸籍系)の中で日々業務に打ち込んでいる。

 

昨年までは年金を主担当とし、現在は国保・後期高齢者医療・年金とすべて中途半端にかかわっている(出向やらなんやらで人が少ないため)。

 

私としては、自分の首を締めない程度に、適度に情報を出しつつ、現在システムに警鐘を鳴らしていきたい所存である。

 

平成24年7月9日記憶に新しい住基法改正、外国人が住基(住民基本台帳)に載った日。外国人の保険と年金にも大きな変化あった。

 

まず、次回は外国人の国保年金困ったことについて書こうと思う。